吾輩らはみんな猫である | 『100万回生きたねこ』佐野洋子

僕は猫が少し苦手だ。

というと、猫好きな人の気分を損ねてしまうかな。

誤解されないよう言っておくが、けっして嫌いではないのだ。僕も子供のころは猫を飼っていた。

ただ、気品を感じさせるあの目つきや振る舞いからだろうか。接すると自分がひどく卑しいものに思わせられるのだ。

自分「あの~、もしよろしければで良いのですが・・・。その麗しい和毛を撫でさせていただいてもよろしいでしょうか?」

猫様「んん?なんだ貴様か。苦しゅうない。好きにせい。」

自分「ははっ、ありがたき幸せ。」

猫様「ああ?何だ、ちっとも気持ちよくないではないか。フン、貴様と関わりあっているくらいなら日向ぼっこしている方がマシじゃ。さがれさがれ。」

自分「す、すみません。これはとんだご無礼を!何卒お許しくださいませ。」

こんな調子で僕は少年時代から猫に引け目を感じていたのである。


100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

だが、『100万回生きたねこ』に出てくる猫はそんなレベルではない。死んでも死んでも甦るというあり得ないスペックにくわえ、スーパーナルシストの鼻もちならないやつなのだ。

だが、こいつがなかなかどうして、心の錠前をグイグイこじ開けにくる。

そして、この本の最後のページを閉じたとき、僕はふるえが止まらなかった。

目次
  1. あんたは俺が好き、俺は俺が好き
  2. 特別な俺とただの俺
  3. 100万1回目に君を愛した
  4. これは自分の物語

あんたは俺が好き、俺は俺が好き

王様、手品師、どろぼう、おばあさん・・・

猫はよみがえる度に、誰かの猫になる。

誰もが猫をかわいがる。が、なぜかいつも悲惨な死に方をする猫。

あるときは矢に射抜かれ、あるときはのこぎりでまっぷたつ!そして、またあるときは犬の餌食となり・・・。

猫の死に誰もが泣いた。だが、猫はそんなの知ったこっちゃない。平気で悲しみをまき散らしていく。

そもそも、猫は人間なんて大嫌い。というより、自分にしか興味がないのである。

100万回生きたことを自慢しまくる。それはさながら、「俺は東大生だぞ。キミたちとは出来が違うんだよ。東大だぞ、東大。」である。

「こいつ・・・、100万年も生きてるのに絶対友達いないだろう。」と誰もが思う。

特別な俺とただの俺

そんなスーパーナルシスト君にも転機が訪れた。白いメス猫との出会いだ。

彼は彼女との出会いをさかいに変わっていく。普通の猫になってしまうのだ。

そして、白猫を心から愛し、生まれた子どもたちを自分以上に愛した。

どうした?何がスーパーナルシスト君をそこまで変えた?

おそらく白猫だろう。

白猫だけが本当の自分を愛してくれたからだろう。

これまでに出会った人間たちにとって、彼は所有物、アクセサリーのようなもの。そのエゴのために彼は危険にさらされてきた。

また、他のメス猫たちにとっては、「100万回生きた特別な猫」であることが重要。「彼氏が東大生ならメッチャ自慢できる~」である。

あ、別に東大生が嫌いなわけじゃありません。はい。

つまり、誰もひとりの人間(猫)として自分を大切にしてくれなかった。そして、「100万回」の肩書を持たぬただの人間(猫)としての自分を見ようとはしなかった。

ただひとり、白猫だけが違った。特別じゃない自分、ただの自分だけを認め、愛してくれたのだ。

100万1回目に君を愛した

僕はずっと彼をいけ好かないスーパーナルシストだと思っていた。

だが、彼は本当のところ自分が嫌いだったんじゃないだろうか。正確にいえば、ありのままの自分を受け入れられずにいたのではないかと思う。

彼が好きだったのは、あくまで「100万回生きた」特別な自分だ。というより、自分にそう思い込ませていたのだろう。

本当はありのままの自分を愛したかった。誰かに愛され愛したかった。それまでは本当に死ぬわけにはいかなかったのだ

だから甦り続けた。何度も何度も命を粗末にしながら。

そして白猫に出会い、彼は本当に欲しかったものを手に入れることができた。

初めて「生きていたい」と思うようになる。

ようやく自分になれた彼は、ついに誰かを愛する幸せをも知った。

100万1回目にして。

これは自分の物語

静かにページを閉じる。

そして目を閉じる。

最後の彼の表情がまだ目頭をあつくさせている。

ふるえが止まらない。

どうしてこの本が人々に愛され続けるのか分かった気がする。

これは、とある猫の話ではなく僕たちの物語だ。

誰もが100万回生きた猫であり、100万1回目を夢見ている。

ほんの少し猫が好きになった。

作品名『100万回生きたねこ』
著者佐野洋子
初版発行1977年
出版社講談社

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